Move A Needle

一歩前へ 軽やかに 針を動かす

断捨離と執着

まずはご報告から。

前回のブログに書いた件ですが、無事にニードルのブログURLが認識されました。以前紹介したブレネー・ブラウンの本カエルの絵表紙の本の写真も貼れました。

やはり、初心者マークの人間のやりがちな、初歩的なミス。

ドメイン会社とはてなブログとの両方で、自分のドメイン登録が途中までしかできてませんでした。

一度は習得したはずのYouTube先生を再度巻き戻しながらみて、やっと、ミスに気づき、「これ見たよね?なんでやってなかった??」と自分にツッコミを入れながら、パソコンに向き合い、無事、登録できました。

お騒がせしてしまいましたが、何とか、ちょっとだけ針を動かすことができました。

 

今日は断捨離と執着の話です。

 

この10年ほどは、なるべく身軽で自由でいたいと考え、少しずつ、断捨離中。

停滞せず流れていくこと。全ては移ろいゆき、変わっていくこと。

変化・変容を楽しもうというふうに、考えるようになってきました。

若い頃よりは、ちょっと肩の力が抜けて、背中の羽が伸ばせるようになってきたような感じ。

(ただのイメージなのですが、両方の肩甲骨辺りから、羽が生えてるイメージで、自分のストレス度、疲労度を測ることがよくあります。ストレスが高いと羽が硬く縮んでしまいます。はい、こんなこと、もちろん、人には言いません!ブログでは、何故か何でも包み隠さず言ってしまう、変なオバサンです。)

先日、約10年の間私の側に居て支えてくれた、このテーブルとイス3脚を手放しました。

まるで娘を嫁に出した気分。彼女のことをとても大切にしてくれる、新しい家族の所に送り出すことができて、良かったなぁ!

 

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がらんとなりました。

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しばらくこの状態で暮らしてみるつもりです。

 

下の写真は、処分される寸前に実家から貰ってきた本棚。

物心ついた頃から実家にあって、とても愛着があるものなので、中の棚が壊れてたのを応急処置して使ってます。

断捨離する一方で、思いっきり執着してます。

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捨てられないものの代表選手は、やはり、本です。

本は私にとって、人生の師であり、友であり、カウンセラーでもあります。

困った時、調べたい時、気分を変えたい時、落ち込んだ時、素敵な物語に触れたい時…よく書店に立ち寄り、隅から隅までウロウロ。こころ引かれるタイトルの本を片っ端から拾い読み。

何故か、その時自分の求めている答えやヒントになる言葉に出会って、救われた気持ちになったことは、数知れず。

言葉の力ってすごい!

今はもっぱらネットで購入することが多いですし、キンドルの電子書籍を利用することも多いのですが、やはり、書店に赴き、五感をフル活動させて、本に触れながら選ぶ時間は、何事にも代えがたいと痛感しています。

コロナ明けには、本屋に入り浸りたい。

このように、本は、大切な存在ですが、自分が年齢を重ねるにつれ、本達も、この本棚から出ていって、今度はまた違う人と出会う、本たちの人生?、本生(ホンナマじゃないです、ホンセイ)?があるほうが素敵かもしれないな、と思うようになりました。

それで、数年ごとに本棚の中を見直し、人にあげたり、販売店に売って処分したりというような事をやってます。

今は、家まで引き取りにきて買い取りしてくれる時代。

重い本の入ったダンボールをサッと抱えて颯爽と去る、運送のお兄さんの腰は大丈夫なのか?と老婆心を抱きながらも、そのサービスの便利さに感謝です。

 

それでも、「手放したくない」という本も多々あります。なかなか執着を捨てられない人間の煩悩というヤツです。

 

 

今日紹介する本は、持っておきたい本のうちの一冊、1999年に出版された「脳の中の幽霊」

これは、脳神経学者のV.S.ラマチャンドラン博士が、一般向けに書いた脳の話です。

その時の単行本の序文は、オリヴァー・サックスさん、解説が養老孟司さん。

一般向けと言っても、

「一般読者にわかる本にする一方で、専門家に嫌がられないように簡略化を避けるという綱渡りをしなくてはならない」

と、博士自身も言っているように、分厚い本の中には、専門用語も多く入っていて、学問的に高さと深さのある内容です。

なので、かなりのページを割いて、詳しい註が付いています。

しかし、その行間からは、

博士が、人間というものの不思議を面白がり、愛おしく感じ、この迷路の中を探検していくのが、楽しくて仕方ないというのが、伝わってきて、

こちらも、いちいち、「へぇーそうなの?」とか、「それは変だねー」とか、しまいには、ガリレオなみに「実に興味深い!」とか、相槌をうちながら、マーカーで線を引きながら読んだことを覚えています。

もう20年以上も前の話です!

そのことに今さらながら驚く60代。

これを読んだ頃は、まさか自分が看護師になろうとは思ってもみませんでしたが、後で振り返ると、このころから既に人間の心と体との繋がりに深い関心があったのだろうと感じます。

 

本文が始まる前の、「はじめに」の中で、博士が書いている文章です。

私は何者か。死後はどうなるのか。私の心は脳のニューロンからのみ生まれるのか。もしそうなら、自由意思のおよぶ範囲はどれくらいあるのか。これらの疑問が奇妙な再帰的性質を持っているー脳が自分自身を理解しようと奮闘しているーからこそ、神経学はわくわくするほどおもしろい。

博士のワクワク感が伝わってきますね。

つい先日の話ですが、久しぶりに出かけて、TSUTAYAに行ったら、この本の文庫本が積まれているのを発見。

そこにあったポップには、

「走る哲学者、為末大さんの愛読書」と書かれていました。

そうなのです。この本は、医学や科学の分野の書でありながら、その範疇を飛び出した哲学書のようでもあるのです。

人間とは何か、心はどこにあるのか、生きるとは何かといった、永遠のテーマを問うような文章が多くでてきます。

今もこうして、20年以上も前の本が読み継がれ、陸上メダリストの為末さんの愛読書となり、敬愛され、イキイキと、本としての生を生きているのだなぁ…とても感慨深く思いました。

 

最初読んだときの私の感想を書きます。

 

科学的な本にはおよそ不似合いな、文学や詩の一節が各節に引用され、「幽霊」「ゾンビ」といった非科学的な言葉が散りばめられ、幻肢、想像妊娠のような、不思議な現象が紹介されています。

科学と非科学、現実と非現実、事実と幻、という対照的かつ相いれないように見える概念は、

実は根本は同じことなのだよ、どう呼ぶかは、貴方たちがどの立場からみるかなんだよ、

と、私たちに投げかけている感じのする本だというのが最初の感想。

筆者は脳科学者でありながら、なおかつ、シャーロック・ホームズのような探偵として、その不思議の謎解きを楽しんでいる感じです。

最も印象的だったのは、脳の地図

それをもとに作られた、ホムンクルス。口と手が異様に大きい小人。

そして、鏡の箱

その箱を使って、視覚から脳をだまして、その脳の中の地図を書き換えるという実験が行われ、博士は見事に幻肢を消し去ってしまうという症例も紹介されています。

(鏡の箱は、麻痺の治療にも応用されていて、日本でも、1990年後半に経済学者の栗本慎一郎氏が脳梗塞で半身麻痺になった後、この鏡の箱を使ってリハビリを行い、麻痺が改善したと紹介されたことを覚えています。)

幻肢とは、例えば、事故で腕を失っているにも関わらず、その腕がまだあると感じるような現象のことです。

手術で切断したはずの足が痛くてたまらないといった、幻肢痛ということも起こります。

鏡の箱を使った治療の根底を支えるのは、すでに決まっているはずの脳の中の地図は書き換えられるという説。

そのことが、当時の私には衝撃的であり、同時にワクワクしました。

これからどうやって生きていこうかと思い悩むことの多かった日々の中、

脳の持つ柔軟性、可塑性、可能性を信じてみよう、色々挑戦してみよう、もしかしたら私も変われるかもしれない…

と、私の背中を押してくれました。

図らずも看護師となってからも、博士の問い、「私の心は脳のニューロンのみから生まれるのか」はずっと私の心にありました。

この本を読んだ当時は、「そりゃ、心は脳の中にあるでしょ」と思っていました。

でも、実際、様々な方々の生命の物語に触れるにつれ、「脳だけじゃない」という考えに徐々に変わっていきました。

身体の細胞の一つ一つに心があって

互いはつながっている

身体全体に心のネットワークが貼り巡らされている

と肌で感じる経験が多くありました。

こころとからだは、細胞レベル、分子レベルで、本当につながっている―というのが、個人的にたどり着いた感覚です。

医療現場に来て12年ほど。まだまだ、未熟者で道半ば。

これからまた変わっていくかもしれませんが、今は、そう感じています。

 

 

断捨離と執着の話から、大きく飛んだ感じですが、

一周回って言いたいことは、

手放すこととしがみつくこと、見えるものと見えないもの、科学と非科学、善と悪、生と死、全て相反するように見えて、実は、どっちから物事をみるかにすぎず、どちらも背中合わせにつながっているのではないかということ。表裏一体を楽しみながら味わいたいということ。

長くなりましたが、一気に溢れる思いを、書いてしまいました。

以前はアウトプットに全く気が向かなかった私が、こうしてブログを書き始めたということは、自分自身も、皆さんとつながっていることに意識を向け始めたことの現れなのだろうと認識しています。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

では、また!