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一歩前へ 軽やかに 針を動かす

クィーンズ・ギャンビット チェスと安全基地

先日の夜勤明け、沼にはまるように見てしまった、Netflixのドラマ、クイーンズ・ギャンビットThe Queen's Gambit について、感じたことを書こうと思います。

 

 

まず、主人公の瞳に引き込まれます。

アニャ・テイラー=ジョイさん。

映画「アメリ」を連想させるボブで登場しますが、決定的に違うのはその色。アメリは黒髪、こちらは燃え上がるような赤い髪。ジンジャーヘアというそう。流行りそうです。

監督・脚本はスコット・フランクさん。

舞台は1960年代。米ソの冷戦真っ只中。

資本主義 対 共産主義の、わかりやすいともいえる構図。

60年代と聞いて、私的に思い浮かべるのは、ビートルズとベトナム戦争でしょうか。

幼かったですが、リアルタイムで生存しておりましたよ。

 

タイトルのクイーンズ・ギャンビットというのはチェスのオープニングの定跡の一つ。

男性主導のチェスの世界で頂点を目指す天才少女の話。

映画にでてくる60年代ファッションとインテリアが、何とも素敵で目が離せない(過去記事で取り上げたことのあるソーイング・ビーでも60年代ファッション特集だったので、自分の中でカチリとリンクしました)。

音楽や使われている色調が背景となって、時代の空気感、匂いまで伝わってくる映像でした。

幼少時代のベス、用務員のシャイベルさん、友人のジョリーン、母親アリス、養母、養父、施設の教員達、ベスの初恋相手タウンズをはじめとするチェスプレーヤー達、最強の相手ボルゴフなどなど、登場人物が入り混じり、魅力的。

それに、チェスは全くわかりませんが、わからなくても関係なく見れます。

何といっても、チェスの試合での心理戦がたまりません!

勿論チェスに精通している方はもっと楽しめるのだろうと思います。この動画配信後、チェス用品がバカ売れしたそうです。

このように、色々と楽しめる要素が満載ですが、この映画の大きな見どころの一つは、ベスの瞳の中にゆらゆら揺らめき、出たり消えたりする、深い内面の動きではないかと感じました。

瞳が全てを物語っている感があります。

上の予告動画にも使用されていますが、雑誌記者のインタビューでの場面と言葉が最も印象的でした。

記者にとって、目の前にいる10代の女の子が、何故そこまでチェスにのめり込んでいるのか?という謎が湧いてくるのは、当然だと思います。

孤児だから?チェスの駒の家族構成員としての役割、例えば、王は父親のように闘い、王女は母親のように守るといったことに惹かれたのか?という問いに対し、

ベスは、ちょっと笑って、駒は「ただの駒」と答え、チェスの魅力は、「チェス盤」と答えます。

さらに「64のマス目が世界の全て」「その中にいれば安全」という答え。一旦マス目の中に入れば、そこは、safe「安全」。何故なら、contorol「管理する」ことができるし、dominate「支配する」ことができる、そして、predictable「予測できる」のだからと言います。

「安全基地」secure basementという言葉を聞かれたことがあるかと思います。この場面で、まさに、この言葉を思い浮かべました。

看護学校では、小児看護の授業で「愛着理論」というものを習います。その中で「安全基地」という概念を知りました。こういう事を子育て中に知っておきたかったなぁ…

ウィキペディアの説明の一部を引用してみます。

子どもは親との信頼関係によって育まれる「心の安全基地」の存在によって外の世界を探索でき、戻ってきたときには喜んで迎えられると確信することで帰還することができる。現代においては子どもに限らず大人においてもこの概念は適応されると考えられている。

つまり、公園で親から離れて遊べるのも、「はじめてのお使い」ができるのも、安全基地がきちんとあるから。

おとなになってから、新しいプロジェクトに挑戦できるのも、一人旅ができるのも、人前で話ができるのも、全部、心の安全基地があるから。

 

子どもの時は、実際の親、または親のような人が安全基地。

親と触れあい、愛情を注がれ、育てられていく中で、強い絆(愛着)を形成し、自分の中に「大丈夫だ」という安全基地を作っていくというのです。 

 

 大人になってからは、自分自身が自分の安全基地。

つまり、大人になってからは、自分で自分の親になるのです。

問題解決していくのも、出来ないと判断したら周りに助けを求めるのも自分の中の親の仕事。

 

自分の中に子どもみたいな人と親みたいな人がいる感じ。

それを少し離れて眺めて、その親子のやりとりを観察する人も必要。大人の自分、色々乗り越えてきた今の自分。

その3人で自分の中のやり取りを深く逃げずにやっていくと、確固たる安全基地の建築材料が調達できるように感じます。

子どもの頃、親との愛着が築けなかった人でも、大丈夫、ちゃんと、自分のなかに安全基地を作ることができます。時間もかかるし、大変かもしれないけれど、それでも、ぐずぐず言わずに覚悟をきめたら、ちゃんとできる!ということ。

セルフ・リぺアレンティングself-reparentingといいます。若い時にかじった交流分析という心理学の分野での考え方です。興味のある方は調べてみてください。

  (過去にも似たような内容の記事を書いています。看護職をする中でも、心と身体はつながっている!ということを強く実感しています。なので、つい、心理系の内容が多くなってしまいます。あしからず。)

 

さて、ドラマにもどって、ベスはどうだろうか?と考えると、

幼いころに作り上げることが不十分だったけれど、唯一、確かで安全で、制御可能で先が読めるもの、安全基地のような拠り所を、チェスのボードの中に求めたのかもしれないと感じてしまいます。

彼女の心惹かれるポイントは、駒よりもマス。人よりも確固たる枠組みのある世界なのです。

 それは、実は、深く見ていくと、安全基地のようにみえて、ただの快適に思えるコンフォートゾーン。日本語にすると、似た言葉に見えますが、まったくの別物。

どんなに、チェス盤に美しく完璧な世界を求めても、それは、幻のようなもの。

時計のボタン(ドラマ内に出てきます)が押されるまでの幻。

勝てば完璧で美しく、負ければ不完全で醜いという二元論に呑み込まれる。

エンドレスに続く、終りの見えないゲーム。

おまけに、人は、駒とは違って予測不能な動きをするので、関係性に法則がない。

他者に対して、親密な関係性がわからない。

自分自身が生身の人間であることは現実なのに、自分自身がわからない。

傷ついても、対処の仕方、自分の手当やケアの仕方もわからない。

 

ベスの心は悲鳴をあげ、傷も分からなくなる位、痛みも感じなくなる位、自分を麻痺させるほどのアルコールと薬物にどんどん依存していくというストーリーに、

見ているほうも、アップアップと溺れる感じ…息苦しくなってきます。

ベスが、自分にとっての安全基地をチェス盤でなく、自分の中に作れるか?

顔をあげて次への一歩を踏み出していけるか?

が、鍵になっていくような気がしました。

 

シーズン1は7話で終了します。

最終話はみてのお楽しみですが、

ベスの感情の吐露、過去との再会、60年代モスクワの街並み、人々の熱気、ベスの白と黒のファッション、試合での駆け引き、チェスの駒の動きの美しさ、全て見逃したくない最終話ということをお伝えしておきます。

 

 皆さんの心の中には、安全基地がありますか?

いつでも「初めてのお使い」に行く準備はできていますか?

 

かく言う自分はどうかというと、

まだまだだなぁ!

日々何か新しい事をしようとするたびに、あらたな足場が必要になって、安全基地の改築・増築をやってます。

リノベーションの毎日。

 

ではまた!