「ちょっと前なら憶えちゃいるが、1年前だと、ちとわからねぇな」
という語りで始まる港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカって曲があります。
「昔の曲だとちと分からねぇな」と言われそうなやつを最初から持ってきてしまいましたが、
ここに出てくる「憶えている」ってどういう感覚なんだろうって考えます。
人は毎日いろんなコトやモノやヒトに出会って、おぼえながら暮らし、忘れながら生きています。
ひたひたと迫る忘却の流れは、年々、勢いを増すように感じます。毎日が、「ヤバイヨ、ヤバイヨ」状態です。
そんな中、忘れたと思っていても、ふわりと浮かび上がってきて、歩き続ける道の先を照らしてくれるような言葉たち。
そんな言葉を思い出すとき、「あゝ、ちゃんと憶えているよ」と懐かしい気持ちが湧いてきます。
きょうは、自身の原点のような、憶えている言葉を少し拾ってみたいと思います。
波打ち際のボタンの記憶をおもいだす
月夜の浜辺
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
月に向かってそれは抛れず
浪に向かってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
最近、特に、記憶が薄まる感覚があるけれど、
日々の時間にも流されず、薄まらず、
いつでも思い出せる言葉があるように思います。
近ごろはググらないと、不安になります。
何となく知ってはいるけれど、輪郭がぼんやりしていて、確信ができないことばかりなのです。
てもこの中原中也の「月夜の浜辺」は、わたしがグーグル先生無しでも、ソラで全部言える、数少ない言葉達です(アップする前に間違えてないか、一応確認しました)。
確か、中学校の教科書に載っていて、
若山牧水の
白鳥は哀しからずや
海の青 空のあをにも 染まずただよふ
という短歌と同じ明度とギガ数で
わたしの心のなかを大きく占領していました。
中学生といったら、成長期の真っ只なか!
凄まじい量の情報をインプットする時期でもあります。
なおかつ、すさまじい感受性の真っ只中。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
―茨木のり子「自分の感受性くらい」―
という詩の一節にであった出会ったのは、そのずいぶん後の事。
当時、感受性という言葉の意味もわかってませんでしたっけ。
訳の分からないユラユラ揺れる得体の知れないものに呑み込まれそうだった思春期。
振り返れば、
中也や牧水や萩原朔太郎といった詩人の言葉に白昼夢のような憧れを抱いていたように思います。
他のことは、忘却の海の中に沈んでいくのに、
何故その言葉たちがイキイキと記憶に残るのか、考えてみました。
それは、その言葉が映像化できるか否かで決まるようだと気づきました。
月夜の浜辺の詩を初めて読んだとき、
月の光に浮かびあがる、波打ち際の白いボタンがくっきりと浮かびました。
今は珍しくなった、貝のボタン。
真珠色、ミルク色に光るボタン。
若山牧水の歌も、青空や海と白い鳥とのコントラストが、くっきりと、なおかつ、物悲しく、映像でみえるような歌ですよね。
言葉が、一瞬で変換されて、目の前に景色が広がる感じ。
当時は無かったYouTube動画が脳内で再生される感じ。
中也も牧水もとうに亡くなっている方たちです。
かれらの肉体はないのに、その言葉は生き生きと生き続けている、という不思議な感覚。
美しい言葉というものは
時代や時の波に洗われても、浸食されず、
波打ち際のボタンのように、月に照らされて光を放つものだ
と感じています。
そんな言葉からパワーを貰って私たちは生きていると思う日々。
言葉があって良かった。
文字があって良かった。
言葉が無ければ、この世は闇だったのではないかとさえ思います。
これから先、波打ち際のボタンのような言葉を見つけながら、柔らかく周りを照らす言葉を発していければいいなと考えています。
読んで下さったあなたが、少しでも、温かい気持ちになりますように。
今夜の空は雲に覆われていますが、月の光は雲の合間からも素晴らしく美しいです。
うちのベランダからの今夜の月の写真です。
そして、今日の昼間の空。
この空がずーっと繋がっているというのは当たり前だけど、この当たり前がすごいことですね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
ではまた!