右と左、瞬時に判断できません。
お箸を持つ方が右。じゃない方が左。
と、幼い頃から、頭の中で唱えて、左右確認をしていました。
左右盲というそうです。
日々の繰り返しで、だんだんと訓練?されて、自分の身体の左右感覚は、あまり問題ない感じになっています。
そもそも、右と左がすぐにわからなくても、気に留めていませんでした。特に困らないから。
なんなら、みんなもそうなんだろう、くらいに思ってましたから。
たいていの人はそんなにじっくり考えなくても左右がわかるのだ!と知ったのは、社会人になってから。
ちょっと、足元の地面がぐらっとする感じがしましたっけ。
苦手なのは、大きくいうと、
①道案内
②相手にとっての左右を認識すること、それを言葉にすること
の2点。
①道案内
急に、右って言われても、ピンと来なくて、考える時間が、数秒必要。
タクシーに乗って、右に行きたいのに、
「そこを左にお願いします。」
と運転手さんに言った後、
「あ、やっぱり右です。」と言い直す、
という大迷惑もやらかしてきて、
道案内する時は、前もって、じっくり、右か左かを考えてから、口に出すようにしてます。
自分で車を運転する時は、困りません。右と左が言えなくても、あっちとこっちという感覚でウィンカーを出せますから。
そして、これも左右盲と関係しているのか、よく分かりませんが、すごい方向音痴。
「地図の読めない」女です。
目的地に行くのにどっちに曲がればいいのか、わからなくなって、グルグル回ります(今はナビがあるので、ほぼほぼ大丈夫)。
②相手の左右を認識すること、それを言葉にすること
普段の生活では、こんなことが苦手でもさほど大したことではないのですが、職務上、関わる人の身体についての記録や言葉は重要なのです。
例えば、痛いのは左足なのに、看護記録に無意識に「右下肢痛あり」と書いた後、
えーっと、ほんとに右だっけ???
と考えて、間違いに気付き、2重線を引き、訂正印を打ち、書き直す...
という作業をしたことは、数知れず。
最初から気を張って、意識して考えながら書くときは間違えませんけど、
ちょっと面倒くさい…ですね。
患者さんに「では左を向きましょうか」と澄ました顔で声掛けしながら、
内心は、ちょっとドキドキ、
目の前の人にとっての左右を確認して、
シュミレーションして、
という脳内作業が毎回必要なのです。
安心と安全を提供するナースのお仕事。見た目冷静、内面あたふた。
やっぱり、面倒くさいかも…(笑)
夜勤の朝など、寝てなくて気が抜けている時は、ポンコツナースの極み。
朝食介助時、ある患者さんの利き手でない左手にスプーンを持たせてしまいました(スプーンが持てたら自分で食べられます)。
最初キョトンとされた後、笑いながら優しく間違いを指摘して下さいました。
ごめんなさい!そしてありがとうございます!という感じです。
何とか、スタッフ間でも笑い話で済ませられる程度の左右盲で、生きています。
さらに、YouTubeや目の前で動いている人を見ながらダンスとか、体操とか、
左右を考えたら、あり得ないくらいできません!
まぁこれは、私の場合、さらに運動神経問題が関係してきて、さらに面倒くさい話になります。
「面倒くさい」を連発しました。言うのもヤボかもですが、これは、一種の照れです。
この左右盲という特性、自分では、なかなか、面白い!と思っていて、愛すべき個性の一つと捉えています。
「あいしてるよー、左右盲。」と世界の中心で叫びたい。
左右盲の仕組みに興味を持ち、ググってみましたが、何故そういうことが起こるのか、はっきりとは解っていないというのが真相だそうです。
鏡のなかの右と左を考えると、さらにめんどくさくて面白いですよね。
はい、ここで問題です。
右手を挙げたあなた、鏡の中で挙げているのは、どっちの手?
私の場合、「右手!」と答えます。右手を挙げて鏡に自分を映すと、「私は、右手、お箸を持つ方の手、を挙げている」と確信しています。
なので、鏡の裏にまわって、向きを変えて考えてみると、「左手を挙げている」ことになるという感覚が急にはもてません。
鏡がない状態で目の前にいる人を見ても、まるで鏡に自分を映した時と同じ感覚で相手を見てしまうのだろうと思います。
あなたは、どう答えますか?
右手?それとも左手?
人によって見えるものの認識が違ってくるのは面白いですね。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
読んで下さったあなたが、くすりと笑って、ほっこりと温かい気持ちになりますよう。
写真は久しぶりに書いてみた鏡文字。子どもの頃は大得意でしたが、今はもうかなり苦労して書きました。大人になって書くと脳が活性化するそうで、ちょっと、お遊び、頭のタイソウ。
それでは、また。